愉快な王さん

私が書いた小説です。どうぞ読んでみてください。

愉快な王さん

 私が日本に来た時、最初はまあまあ大きい日本語学校に入った。建前にいろんな国の学生がいて、国際色が豊かな学園と言っていたが、中国人が大半だった。その学校に学生寮があって、月6万5千円でワンルームに泊まれる。私はそこに住んでいた。なぜか寮に住んでいた学生はほぼ全員中国人。韓国人3人くらいいたはずだが、幽霊みたいな存在で、ほぼ見かけなかった。

 そこで出会ったのは王さんだ。

 王さんは私の同期。同じ年の4月に同じ日本語学校に来た。そしてクラスも一緒で、同じ寮に入っていた。学校初日は事務の人からオリエンテーションをやって、クラスで自己紹介したところで終わった。寮に帰ったら、どっかで見たことがあるやつがロビーにいて、まだ迷っていたところ彼が私に挨拶した。「おー、とうさんですね。僕ら同じクラスですよ!」そう言われたら完全に思い出した。確かに王なんとかやつという人。この人も寮にすんでいるんだと思って、「ああ、王さんですね。今日会いましたね。」と答えた。それが王さんとの最初の会話だった。

 うちの学校はちょっと変わったところがあって、簡単に言えば午前も午後も授業ということ。日本の日本語学校はほとんど二部制で、学生は午前か午後にクラスに出る。うちは朝9時から午後4時まで授業をしていた。それを知っていて来た学生もいれば、学校に入って「騙された!」と叫ぶ学生もいた。授業時間が長くてたくさん勉強できると思って入った学生が主流だが、私はどちらかというと「二部制じゃない学校は金儲けのための学校ではないから安心できる」という考えで来たのだ。

 オリエンテーションの日は授業がなかった。勉強はその翌日から始まる。まったく新しい学生生活なんで、ちょっと本気を見せようと思って、わざと授業の30分前に学校に行ったら、教室に王さんが座っていた。こいつ早いな…と悔しく思って教室に入ったら、王さんが私が入ったことに気づいて、振り返ったら、「あれ、とうさんじゃないですか!」と喜んで叫ぶみたいに言った。

 「おはよう。ていうか早いな。」私が言った。

 「おはようございます。とうさんも早いじゃないですか。」

 「いや、俺よりもっと早い人がいるって思わなかったよ。」

 「そうですか。」王さんがにこにこして言った。

 王さんは茶色のポロシャツを着ていて、メガネをしている。そう言えば昨日もポロシャツだった気がした。教室に2人しかいないから、なんか会話をしないといけない雰囲気になっていた。王さんはただにこにこしていただけで、会話しろと言うように私を見つめていた。もうここで私が最初に言わないとこの空気が他の学生が来るまで続くと、「ね、どこ出身?」って聞いた。

 「河北省です。石家荘って聞いたことありますか。」王さんが答えた。

 「あ、もちろん。俺は山東済南出身だから。近いね。」

 「近いですね。僕済南市に行ったことありますよ。」王さんの笑顔がますます咲いてきた。

 「あそうか。俺は石家荘に行ったことないけど。」気づいたら酷い言葉遣いだった。

 そして沈黙。

 「あの、大学に行く?大学院?」私が聞いた。

 「大学です。神学を勉強したいから、神学部か宗教学科に入りたいです。」王さんがまたにこにこして答えた。

 ちょっとびっくりした。普通の留学生なら有名大学に入りたいとか、経営学の修士を取りたいとかが普通だけど、たまに心理学か哲学を勉強したいやつもいるけど、神学は流石に初めて。

 「なんで神学?キリスト教信者?」私が聞いた。

 「いいえ。信者ではないですが、宗教、特にキリスト教の研究がしたいので、まず神学部で勉強しようかなと思って…」王さんはちょっと動揺したみたい。

 「ええー。面白いね。」本当に面白いと思った。

 他の学生がバラバラに教室に着いて、私と王さんの会話が中断になった。

 授業は「みんなの日本語」を使って、50代の女性の日本人の先生がやっていたが、気になったのは昼ごはんのこと。午後にも授業があるので、学食があるとは聞いていないから、皆がどうするか覗いてみようと思った。2限の終わりのベルが鳴って、私がわざと文房具の整理を長めにして皆を待とうとしたところ、王さんが弁当箱を出した。

 「やつ初日自分で弁当を作る?女性かよ。」心から嫌な気持ちになった。

 でも王さんはひたすら弁当を食べ始めた。

 結局その日ほかの学生と一緒に近くの中華に行ってきた。学校の近くに中華が2軒あって、昼間は学食みたいな存在になっている。コンビニもあるから、昼ごはんは困らない。いや、困っても弁当までは作らない。そもそも料理はできない。しかし王のやつすごいな。寮にはミニキッチンがあるのは確かだけど、日本の弁当文化を初めて見せてくれたのは中国人ってことはなんか気味が悪い。中華では結構待たされたので、授業時間ギリギリに教室に戻った。

 午後の授業は違う先生だった。ちょっと若い女性だった。これからもこの二人を軸に授業を進めるらしいが、私はそんなに興味なかった。

 クラスメートの顔を確認して、確かに寮で会った人は王さんだけ。すべての学生が寮に住んでいるわけでもないから、むしろ6万5千円のワンルームは高すぎて、皆もっと安いところに住みがっている。学校から寮までは電車移動だから、王さんに声かけて一緒に帰ろうと思った。

 やっと4限のベルが鳴った。私は王さんのところに行った。

 「一緒に帰る?」私が聞いた。

 「あ、ごめんなさい。僕はもうちょっと勉強したいんで…」王さんがにこにこして言った。

 「あそう。じゃ俺帰るわ。」

 私一人で学校を出た。なんてやつだ。初日勉強する?先生さえ復習してくださいとは言ってなかった。勉強ってことは学校のペースでいいだろう。と思いながら、寮に帰るのをやめて、一人で行ったことなかった秋葉原に行った。

 早めに学校に行く行動は一日でやめた。このように毎日を過ごして、毎日クラスで王さんと会うけど特に一緒に寮に帰ることはなかった。私はクラスでも寮でも友達ができて、毎日違うクラスのやつと寮に帰るようになった。

 そしてある日、毎日一緒に電車に乗って寮に帰る友達にこう聞かれた。「お前クラスに、神学勉強したいやついたって本当?」

 「うん。王っていうやつだな。聞いたことある。でも本当かどうかしらんけどな」私は答えた。

 「噂聞いてない?こないだ面談があったじゃ。進路調査に神学部って書いたやつがいるってもう学校でニュースになってるよ」友人が興奮してきた。

 「まじか」

 私は鈍感か、その噂は聞いてなかった。というか本人から聞いたから、今更びっくりもしなかった。でもあいつ本気だな、とは思った。まだ100%信じなかった。

 「頭狂ってるね、絶対」友人は更に興奮した。

 「いや、いいじゃない。金があれば。」私も実はそう思ったが、控えめに言った。

 日本の中国人留学生は金持ちがまだ少ない。中にスーパー金持ちたまにいるけど、放課後バイトするのが普通なのだ。皆バイトしている。バイトしていないやつは、異常。別に金があればバイトしなくてもいいのに。本当にバイトしなくてもいい人は、多分20%くらいではないか。そして今バイトしなくてもいいけど、経済学を勉強してさらに金持ちになるのが常識だが、神学を勉強したら将来何をするの?バイト?とその時既にバイトしていた僕は思った。

 確かに王さんがバイトしていると聞いたことがない。

 でも特に聞こうとは思わなかった。ただの変わった者だと思った。

 ある日、寮のロビーにコインランドリーを利用しに行ったら、王さんがいた。寮のロビーに机と椅子があるけど、勉強はできるが、よこにコインランドリーや電子レンジなどがある生活エリアであって、普段うるさくてとても勉強できる環境ではないと思う。勉強している学生も見かけたことがあまりなかった。

「おっす」と私が挨拶した。

「あ、こんにちは、とうさん」王さんは相変わらずにこにこしていた。

こいつは笑顔のロボットかよ。

「珍しいね、寮で勉強するって」私は単純に聞きたかった。王さんは普段学校で遅くまで勉強しているから、寮で勉強するのは初めて見た。

「今日学校は設備点検で、5時まででしたから。」王さんが答えた。

「ええー。普段は何時まで学校にいていいの?」

 「8時半までです。」

 恥ずかしいものだ。ここに来て3ヶ月、学校は何時までか知らなかった。そもそも4限終わったらすぐ帰るタイプだから。でも

 「ええー、知らなかった。」と微笑んで言った。

 「あそうだ。神学勉強したいって、本気なの。」何気なく聞いた。

 「はい、そうです。でもいろいろ調べたらちょっと難しいかも…」王さんは頭をちょっと下げて言った。

 普段気にしていないけど、王さん今日もポロシャツだった。こいつポロシャツじゃない日は見たことないかもしれない。

 「なんで神学なの。何か理由とかあるの。だって皆経済とか勉強して仕事を探すときは有利だから」私は聞いた。

 「そうですね。小さいときは親戚に信者がいて、ちょっと影響というか、受けたというか、まあ興味があって…昔家の近くに教会がありましたし、ちょっとその時…そうですね。そして中国で本物の神学を勉強することはたぶん無理ですから、日本に来ました。研究者になれればいいですが、調べたらちょっと難しいですね。今ちょっと迷ってます…」

 「神学で就職できるの?両親はどう思うの?」

 「そうですね。そんなに甘くないと分かってきました。両親は…」王さんの笑顔は苦笑いになった。

 「俺はさ、今の学歴で就職が難しいから、日本で経営学の修士を取っていい会社に入ろうと思うね。お前まだ19だろう。就職の大変さ分からないよ。親の金で神学を勉強するってどうするの。だってバイトもしてないだろう。」私は久々に説教モードに入った。

 「そうですね。そうですね…」王さんは私ににこにこして、話が止まった。

 私は人に説教されるのが大嫌い。でもいつの間にか自分も他の人を説教するほうになったのかな。言い過ぎたと察したから、洗濯物を早くコインランドリーに入れて、軽く謝った。「すまん。気にしないで」

 「いいえ。大丈夫です。皆が言ったのが現実ですから」王さんがまた笑顔。

 1時間後、洗濯物を取りに行った時、王さんがいなかった。

 私は1年間で大学院に受かると計画して、受験に時間をかけた。毎日学校、バイト先、寮という生活を送っていた。バイト先は他の人と違うので、一緒に寮に帰る友達もいなくなった。大学院受験のため塾に入っていたが、塾費が高くてすぐやめた。バイト時間を28時間にぴったりコントロールして、他の時間は自宅で勉強していた。苦学生ではないが、お金が必要だ。他の人から見れば私は寂しい人だろうか、クラスの王さんも同じだろう。

 そして12月のある日の夜、私は部屋で勉強しているところ、ベルが鳴った。ドラ開けて、王さんだった。

 「どうしたの?寒っ!」私は言った。

 「実は、中国に帰ることになって…」王さんはいつもの笑顔。

 「寒いからとにかく入って」

 「あ、大丈夫です。日本の大学に行くのをやめて、中国に帰ると決めたから、もう使わない本がありますけど、良ければ…」王さんが本を私に渡そうとした。JLPTのやつと留学試験の数学や総合科目だった。

 「いや俺学部じゃないからEJUいらんわ。しかもN1持ってるし。」

 微妙な空気だった。

 「まあごめん。他の人にあげよう。」

 …

 「神学やめていいの?」私は聞いた。

 「いろいろ…難しかった。両親もあまり支持してくれない。やっぱり辞める…」王さん泣こうとした。

 「文学部とか経営学部とか行けばいいじゃん、別に、なんで留学もやめるの?」

 「私はそんなんじゃないから。」

 「若いな…本はいいや。まあ気をつけて。」

 「はい。ありがとうございました。初めて自分が神学を勉強したいことを他の人に言ったのは、とうさんなんですので…」

 「そうですか。」私は何を言うかわからなかった。

 「では。またいつか。」王さんが帰った。

 翌日から、王さんの姿が消えた。

 私は塾に行かずに、ある偏差値45くらいの大学の経営学大学院に受かった。もっといい大学に行きたかったが、もう無理だった。でもそれで良いと思った。ビザに関わるため、残った日本語学校の授業はサボってはいけない。だるい毎日を我慢して、やっと日本語学校を卒業した。新生活が始まり、まず研究科に日本人があまりいないことにびっくりした。新入院生同士の飲み会で、母国の言葉しか聞こえなかった。新生活の期待より、入学早々中国で聞き飽きた平凡社会人の愚痴を聞いた。王さんは今どこにいる、何をしているだろう。